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【中野 林太郎/知的障がい者バドミントン】てっぺんから裾野をひらく 歴史を刻む活躍を

競技の裾野を広げながら、頂点に立ち続ける。知的障がい者バドミントンの絶対王者・中野林太郎。7月には国内優勝回数9回を達成し、いよいよ2桁優勝が目前に迫ってきた。「負けたくない。意地がありますので」と不敵に笑う。

 2020年に日本障がい者バドミントン選手権大会・知的障がいクラス男子シングルス5連覇を達成した。2019年から開催されている日本知的障がい者バドミントン選手権大会では、コロナ禍の中止1回を挟んで4連覇中。昨年11月には自身初となる国際大会ブリスベン2022Virtusオセアニア・アジアゲームズのバドミントン競技で金メダルを獲得し、2022年度の長野県障がい者スポーツ表彰で特別賞に輝いた。
 ブリスベンでのVirtus国際競技大会への参加国は日本も含め3カ国。中野は全ての対戦相手にストレート勝ち、各ゲームで15ポイント以上の差をつけて圧勝。「他国のプレーヤーと対戦できたことはうれしい」と屈託ない笑みを浮かべ、誇らしげに金メダルを掲げた。

 ひとたびラケットを握れば意地と気迫で圧倒する「攻め」のスタイル。「思い切り打つことが楽しい」という力強いスマッシュが持ち味で、身体の動くままに予測不可能な動きで相手を翻弄する。ヒーローに憧れ、注目されるほど実力を発揮するタイプ。温かい応援を一身に受けながら、青竹のようにまっすぐ成長を遂げてきた。祖母(藤森きぬ子)はゲートボールにマレットゴルフ、両親はソフトバレーやママさんバレーをたしなむスポーツ一家に生まれ、負けん気の強さは「血筋」と笑う。富士電機フロンティアに勤務し、週3日は終業後や休日に塩尻市や伊那市、筑北村の練習場まで足を伸ばす。

 昨年12月の第8回ダイハツ日本障がい者バドミントン選手権大会では、国際大会直後の新型コロナ感染が原因で、5大会ぶりに優勝を逃した。「思い出したくないほどメンタル的にも追い詰められた」と涙をのんだ。もがきながら迎えた今年7月、第5回日本知的障がい者バドミントン選手権大会で雪辱を果たし、国内優勝9回目。「ライバルの田中(和弥)くんに勝って、初めて戦う選手にも勝ててうれしかった」と、晴れやかな笑顔を見せる。
 夢の2桁優勝まであと一歩。がむしゃらに、ひたむきに、王者はただ前だけを見据えてまい進する。「まだまだ競技人口が少ない中で結果を追求していきたい。注目度を上げて、競技の裾野を広げられたら」と、父・唯志さん。新たな歴史を刻みながら、プレーを通じて競技の認知度向上も目指す。


中野 林太郎(なかの りんたろう)
1997年11月18日生まれ。塩尻市片丘出身。3歳でADHD、その後広汎性発達障害と診断される。中学3年生の頃、所属するバドミントン部での県大会出場をきっかけに、バドミントンに夢中になる。現在は富士電機フロンティアに勤務。プライベートを使ってバドミントンの練習に汗を流しつつ、全国各地の大会へ出場。7月には第5回日本知的障がい者バドミントン選手権大会優勝(4回目)、国内優勝回数9回目となる。

取材・撮影/佐藤春香