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【倉田禎寛/競泳】泳げる限りいつまでも 挑戦続けるダウン症スイマー

39歳のダウン症スイマー、倉田禎寛の挑戦に終わりはない。所属する県内のパラ競泳チーム「ウルトラ☆スターズ」では最年長。自己ベストを日々追求する姿を「皆が目標にしてくれるのがうれしい」と、母・信子さんは目を細める。親子で全国各地の大会へと足を運び、泳げる限り競泳を続ける。

 「大好きな水泳が生活の一部であり、生きがい。本人の大きな楽しみになっている」と長年のサポートスタッフは言う。39歳の誕生日を迎えた10月1日、第26回日本知的障害者選手権(25m)水泳競技大会100m個人メドレー3位入賞。9月の第23回長野県障がい者スポーツ大会50m平泳ぎでは壮年クラス唯一の出場者で、49秒51の大会新記録をマークした。「メダルをすごく喜ぶ。こんなに泳げるようになるなんて思わなかったし、今でも不思議な気持ち」と母は語る。

 22歳で長野県障がい者福祉センター「サンアップル」が主催する水泳大会に初出場。その後は長野県障がい者スポーツ大会など挑戦の場を広げた。2010年には第5回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・大阪で初めて全国舞台に立ち、100m個人メドレーで金メダルを獲得した。30代を迎えても勢いは衰えず、4年後の第6回福岡大会でも活躍。以降も様々な全国大会で表彰台に上る活躍を続け、いよいよ40代が目前に迫る。大会で出会った歳下の選手から「すごい」と声をかけられることもあるといい、「20代の選手たちはまだまだ先が長いし、大きな可能性があることを示せたらうれしい」と母。「禎寛が同じ年齢の頃は泳げなかったから」と続け、当時を振り返る。

 サンアップルのサテライト施設「サンスポート駒ヶ根」を拠点に20年以上が経った。18歳で通い始めた頃は気分転換やストレス解消を目的にしていたといい、週2回の水遊びから自然と平泳ぎを習得。その後も見よう見まねで4泳法を次々と習得して母を驚かせた。現在は週3回通い、1セット100m、1日に1000~1500m泳ぐのがルーティン。ときには1日2000m以上を泳ぎ、「つらいこともあるけど、頑張っている」と笑顔を見せる。そのパワフルさはケアスタッフが「全力で行っても勝てない。練習で疲れているところを見たことがない」と舌を巻くほど。さらに月に2回は松本へ通い、「ウルトラ☆スターズ」で仲間とともに本格的な競泳指導も受けている。

 2021年のJSCA全国知的障害者水泳競技大会以降、日本知的障害者水泳連盟は「知的障害」と「ダウン症」のクラスを分けて競技大会を開催し、運動機能障がいを持つダウン症選手のハンデを解消する取り組みを開始。「今まで頑張ってきたことへのご褒美に感じる」と母は声を詰まらせる。12月17日、第13回JSCA全国知的障害者水泳競技大会では、25m平泳ぎで大会新記録をマークし金メダル。このほか、2つの銀メダルも獲得した。泳げる限り、いつまでも、どこへでも。まだまだ躍進は止まらない。


Profile:
倉田 禎寛(くらた よしひろ)
1984年10月1日生まれ。駒ヶ根市出身。日本知的障害者水泳連盟登録選手。生後間もなくダウン症候群と診断される。18歳から水泳に親しみ、22歳で初めて大会に出場して金メダル獲得。「障がい者水泳クラブ ウルトラ☆スターズ」発足時に29歳で加入し現在も所属。主な出場は長野県障害者スポーツ大会、スペシャルオリンピックス日本、JSCA全国知的障害者水泳競技大会、他。2023年10月1日、第26回日本知的障害者選手権(25m)水泳競技大会100m個人メドレー3位。

取材・撮影/佐藤春香