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【プロパラグライダーパイロット】気持ちは常に「いちばん高い所」へ! 空から学んだ生きる道

 大空を自由に飛んでみたい。多くの人が一度は願ったものではないだろうか。ところが「このスポーツは一番安く空を飛べるんですよ(笑)」と、その願いを至極簡単に答えるのはプロパラグライダーの呉本圭樹さんだ。                       
 パラグライダーは元々、フランスの登山家が山からの下山方法としてスカイダイビング用のパラシュートを使用したことがきっかけで始まったとされている。山の斜面等を利用し、駆け下りながら空へ飛び立つスカイスポーツで、翼部分はキャノピーと呼び薄く軽い布地でできていて装備は軽量、女性でも一人で持ち運ぶことが容易だ。
 パラグライダー競技では、10~20㎞ごとに設定されたチェックポイントをいかに早く通過しゴール地点にたどり着くか、その時間を競う。上昇気流を捕まえながら風に乗り、最高高度は地上4000~5000m、全長100~150㎞のコースを滑空する。                                 
 呉本さんは日本代表の競技者として長く第一線で活躍している。これまでにも世界ランキング8位、アジアランキング1位、日本代表選手選抜ランキング1位、ジャパンリーグ1位など、国内敵なしの実績を上げてきた。「空に出てしまうと風に左右される。どんな風が来るかわからないので、大切なことは思い切りの良い性格ですね」と呉本さんは自身の強みを話す。
 そんな呉本さんだが、2016年2月、パラグライダーのアクロバット飛行のトレーニング中に墜落事故を起こす。操縦が出来なくなったまま木に激突し、顔面を強打し負傷。10日間目覚めることがなかった。九死に一生を遂げたのも束の間、驚異的な回復をみせ2ヶ月後には練習を再開、ワールドカップの舞台へ舞い戻っていった。呉本さんは「空の世界って国境がないんですよ。境がない。普段見ている光景と全く違う世界が見えてきます。考え方や視点の切り替えができるようになったのもパラグライダーのおかげですね」と、30ヶ国を文字通り飛び回って得た経験が、自身の価値観やパーソナリティーを形成していると語る。
 現在は、昨年立ち上げた会社を経営しつつ、伊那市横山でアウトドアガイドとその拠点となるカフェを併設した「ASOBINA」を運営している。パラグライダーをはじめオフロードバギーやサップといったアクティビティの提供をしながら、広くアウトドア業界を発展させる活動も行っている。「夢中になるってすごく大切だと思うんです。僕はパラグライダーというマイナーな種目でしたが、特化することで見えた世界がある。どんなことでも飛び込んでみて欲しいですね!」。呉本さんがどんな時でも掴みに行くもの、それは大空から学んだ、“上昇気流”だ。
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<取材/生田和徳>

◆呉本 圭樹 YOSHIKI KUREMOTO
1978年8月19日生まれ/伊那市出身
5歳で初めて空を飛んで以来、空の魅力に取りつかれ、インストラクターの経験を経て競技の世界へとのめりこむ。プロパラグライダー。アウトドアコンサルタント。