「見えないこと」は、個性の一つ。ブラインドサッカー日本代表のエース平林太一らが所属する松本山雅B.F.C.。視覚障害者と晴眼者が共に戦える競技特性も生かし、地域に新たな夢を描く。チームを率いるのは、日本代表として第一線で活躍してきた落合啓士監督。「地域の力で育てられた松本山雅FCのように、B.F.C.のことも見守ってもらえたら」と願いを語る。
頬をなでる風、衣ずれの音、互いの息づかい——。視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、全身全霊でゴールへと向かう。自由自在にコートを駆け回る姿は、「視覚障がい」という言葉のイメージからはほど遠い。アイパッチをした上にアイマスクを装着し、視覚を閉ざしてボールの音を追う。プレーヤーは「ボイ!」と発声して互いの存在を知らせ、「ガイド」と呼ばれる晴眼者がゴールの方向や状況を伝達。声でコミュニケーションをとり、全員が協力して初めてゴールが生まれる。
「自分勝手にはできないし、遠慮していては成り立たない。社会に出るために必要なことが全て詰まっている」と落合監督。チームの軸として存在感を示す平林は全国ネットのニュースで紹介されるなど、競技の認知度向上に大きく貢献している。「健常者の方が『やってみたい』と思ってくれるだけですごくうれしい。シンプルに、スポーツを通して勝利を届けたい」と語る若きエース。「代表選手としてだけでなく松本山雅B.F.C.としても、応援してくれる人たちに喜びを届けたい」と意気込みを語る。
競技を通じて輝きを放つのは、平林だけではない。「僕たちが頑張っているところを見たり、一緒にチームに入ってプレーしたりすることで、視覚障がいを持つ子どもたちに自信をつけてほしい」。そう力を込めるのは、高校3年生の清水冴恭。生まれついての発達緑内障を抱え、4年前に平林に誘われてブラインドサッカーを始めた。「耳で聞いて、声をかけ合えば、見えなくても自由に走れる」。不安や恐怖を信頼関係でカバーし、できることが広がった。
前身のFC長野レインボーから2020年、「松本山雅B.F.C.」に名称を変えて始動。Jリーグクラブとして県内外に高い知名度を持つ「松本山雅」の名が冠されることによって、障がい者支援の枠だけにとどまらない「選手とサポーター」という温かい関係にも発展しているという。「熱いサポーターが集う山雅ならでは」と落合監督。清水も「こんなに愛されているチームに関わりながら、ブラインドサッカーの魅力を伝えていけるのはすごくいい」と声を弾ませる。
まぶたの裏に思い描くあらゆる可能性。ためらわずに駆け出す一歩が、皆に勇気と希望を与える。
取材・撮影/佐藤春香