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パラスポの魅力を発信!「ブラインドサッカー」平林太一くん

日本のエースも認める逸材 14歳・平林太一は「太く、短く」歩む

“ブラインドサッカー界の久保建英”と言える逸材が、長野県にいる。松本山雅B.F.C.の14歳・平林太一だ。生坂村育ちの彼は、物心がつく前に視覚障がいを患った。3歳から松本盲学校に通うと、小学1年でブラインドサッカーと出会う。その後は競技を楽しむ中で、トップレベルへの扉がひらけた。

ブラインドサッカーの公式戦は、中学生から出場が可能。平林はF.C.長野RAINBOW(松本山雅B.F.C.の前身)の練習に参加しながら、その時を待った。ナショナルユーストレセンにも繰り上げで招集され、高いレベルで鍛錬を重ねる日々。だが、年上かつ体格の大きな選手とプレーする中で、苦労も味わったという。

「ブラインドサッカーは接触プレーが多いので、大きな人と当たるのが怖かった。肩を脱臼したり、指の骨を折ったこともあった」。それでも徐々に恐怖心を克服し、小学6年の練習試合で初ゴールを記録。「体格で劣っていても、他の部分で勝てば良い」と自信を掴み、得点を量産し始めた。

中学1年で公式戦デビューを果たすと、才能が開花。日本選手権で大会史上最年少ゴール(12歳7カ月29日)を記録し、中日本リーグでは得点王に輝いた。その活躍を受けて日本代表のエース・川村怜は「一緒にプレーしてみたい選手」に平林の名を挙げている。本人は「僕なんかで良いのかな(笑)」と謙遜しつつ、「同じステージに立てるように、もっと頑張らないと」とモチベーションに変えた。

所属する松本山雅 B.F.C.は昨年8月に設立。Jリーグ・松本山雅FCとブラインドサッカーの取り組みは2015年から始まったが、その勢いを加速させた。新チーム発足から1年が経つ今、松本市在住の平林は「決まった時は鳥肌が立った。この名前を背負う以上、恥はかけない」と重みを理解している。

監督は競技界のレジェンド・落合啓士。平林は「一番最初に知った選手。当時は日本代表のキャプテンで、すごいなと思っていた」と、尊敬の念を示す。練習から積極的にコミュニケーションを図っており、信頼関係も上々だ。

座右の銘は「太く、短く」。昨年、現役を引退したプロ野球・西武ライオンズの高橋朋己に影響されたという。同選手は31歳という若さで第一線を退いたが、怪我に苦しみながらも輝きを放った。平林はまだ先の長い選手だが、キャリアの長短を問わず、高橋のようにインパクトを残すだろう。

「まずは松本山雅B.F.C.で日本一になりたい。その上で日本代表に入って、最終的には世界一になる」。大きな目標を口にしながらも、表情には笑みがこぼれていた。近い将来、日の丸を背負う姿が待ち遠しい。

<取材・撮影/田中紘夢>