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【松本大学 卒業生インタビュー 藤澤亨明】大学で過ごした4年間 NPB入りの大きな転機に

松本大学硬式野球部は2002年の創部以来、多くの人材を輩出してきた。中には4年間で大きく成長したアスリートもおり、藤澤亨明さん(2012年3月観光ホスピタリティ学科卒業)もその一人だ。捕手にコンバートされて開花し、NPB埼玉西武ライオンズに入団。現在は西武のブルペン捕手として第二の人生を送っており、「大学4年間で非常に大きなものを得られたと思うし、それがあるからこそ今がある」と力を込める。

 藤澤さんは上田市出身。神川小2年の頃から野球に親しみ、5年生から上田スポーツ少年団で本格的に野球を始めた。上田一中でも続け、高校は近くの強豪校・上田西高へ。当時は外野手だった。「当時の監督が期待してくださっていた中でもなかなか結果を出せず、最後の最後で背番号9をもらった。でも大会では迷惑をかけた記憶しかない」。卒業後は就職を考えていた。
 そこで転機が訪れる。松本大学の二宮至監督(当時)から誘いを受けたのだ。以前に松本大学グラウンドを会場に他校と練習試合があり、それを二宮監督がチェックしていたのだという。「その連絡がなければ他の進路に行っていたと思う。肩の強さには自信があったので、そこを見てくださったのかもしれない」と振り返る。
 入学して間もなく、さらなる衝撃に見舞われる。捕手へのコンバートを勧められたのだ。監督らに説得されて決意を固めると、わずか1週間の練習を経て公式戦でスタメン起用。大抜擢だ。捕手は中学3年の時1年間だけ経験したものの、「ほぼ素人」の状態でマスクを任された。
 「すんなりできるポジションではない。壁にぶち当たることは多々あった」と藤澤さん。それでも地道に努力を続け、ほとんどの試合でスタメン捕手としてプレーした。こうした状況を上級生に温かく見守られていたことも大きく、「特に4年生は、1年生の自分がいきなり先発になっても嫌な顔をしなかった。それは本当に感謝している」という。
 そして大学4年時の2011年、ドラフト会議直前期の1〜2カ月前になって指名候補に急浮上。西武から育成1位指名を受けて入団した。松本大学初のドラフト指名。その後は1軍出場はなく、退団後の2019年に四国独立リーグでプレーしたのを最後に現役引退した。それでも「最後の最後まで諦めないでよかった。もちろん状況にもよるけれど、諦めなければ最後に何かが見えるかもしれない」と話す。

 5代目の清野友二監督が率いる現在の松本大学硬式野球部にも、藤澤さんの在籍当時から連綿と続く風土がある――とみている。「みんな辛そうに野球をやっていない。厳しさの中にも楽しさがあって、のびのびとプレーしている。自分の時代もそうだったな…と思って、受け継がれていると感じた」。オフシーズンに母校の練習を見学し、懐かしそうに言葉を紡いだ。


 松本大学では藤澤さんの2年後に投手の山下峻(元横浜DeNA)がNPB入り。2023年は内野手・中村泰雅が信濃グランセローズに入団してNPBを目指す。「松本大学から一人でも多くNPBに飛び込んでほしい。部員数が多く競争もある中、ハングリー精神を持って頑張ってほしい」と藤澤さん。日々汗を流す後輩たちに、熱いエールを送る。

■中村 泰雅(観光ホスピタリティ学科4年)
今季から信濃グランセローズに入団

取材・撮影/大枝 令