医療コラム

人間万事塞翁が馬vol.19 音楽の力

プロサッカーの試合前、ロッカールームで選手たちは様々な音楽を聴いています。試合前のミーティングが終わると大きなスピーカーで音楽を流し、試合に向けて気持ちを高め、最高のパフォーマンスを発揮するため様々な準備をしています。
みなさんは大事な試合前に緊張して眠れなかったり、レースのスタート前にドキドキしたことはないですか?明日の試合に向けて十分な休息をとりたいのに、緊張してしまってなかなか眠りにつけない、そんな経験をされたことが少なからずあると思います。このような身体の反応は、すべて自律(じりつ)神経(しんけい)という神経が関与しています。
 スポーツ選手がトレーニングや試合に挑む際、本来の実力を十分に発揮するためには自律神経がバランスよく機能していることがとても大切です。しかし、実際には試合のプレッシャーや緊張感から自律神経のバランスが崩れてしまい、十分なパフォーマンスを発揮できないことがあります。自律神経とは、様々な環境や心理的状況に応じて身体の内部環境を調節する神経で、呼吸や血圧、心拍数の調節、食べ物を消化するといった私たちの生命活動をコントロールしています。自律神経には「交感神経」と「副交感神経」の2つがあり、これらは互いにバランスをとりながら無意識下に機能しています。交感神経には興奮や緊張の状態を高める役割があり、交感神経が優位になると心拍数が上昇し、血管が収縮して血圧が上がって汗が出るなど、身体がいわゆる「戦闘モード」に入ります。対して副交感神経には身体を落ち着かせる役割があります。食後の休息やリラックスした状態などでは副交感神経が優位となるため、心拍数や血圧が下がり、呼吸が穏やかとなり、消化吸収が促されます。自律神経が機能することによって、人はその状況に応じて適切な活動を行うことができるのです。
 大事な試合前の緊張や興奮、ドキドキする感覚は、交感神経が優位になっている状態です。これでは十分な休息がとれず、かえって疲労してしまい試合に向けてよい準備ができない可能性があります。そんなときには、緊張や興奮を抑えるために交感神経の働きを抑え、副交感神経が優位な状態をつくることで心を落ち着かせることができます。例えば深呼吸をする、リラックスする音楽を聴く、瞑想を行うなどの方法を取り入れると、副交感神経を活性化させ、心と身体のバランスを整えることができます。
 ある研究では、音楽が選手の心理的反応に影響を与えることが示されています1)。音楽を聴くことで選手の心理的状態に変化が生じ、結果としてパフォーマンスが向上する可能性があります。例えばアップテンポの音楽は心拍数やアドレナリンの放出を増加させ、活力やモチベーションを高める効果があるため、運動中のエネルギーや興奮状態を増幅させ、パフォーマンスや持久力を向上させることが示されています2)。実際、多くの選手は試合前にアップテンポの曲を聴き、そのリズムやビートに乗って心拍数を上げることで身体を試合モードに切り替えています。一方で、穏やかな音楽や自然の音は、緊張やプレッシャーを和らげ、集中力を高めるために有効とされています3)。穏やかな音楽は副交感神経活動を増加させるため、リラックス効果や緊張の緩和に繋がります。試合前の緊張や興奮を解消させたいというときには、スローテンポでリラックスできる音楽を聴くことで心を落ち着かせられるでしょう。音楽は自律神経をうまくコントロールするためのよいツールです。自分にとって最適な音楽を見つけることで、最高のパフォーマンスを発揮することができるかもしれません。スポーツ選手だけでなく私たちが日常生活で自律神経のバランスを保ち、より健康で快適な生活を送るために音楽の力を利用する価値は大いにあります。

1) The Influence of Music Preference on Exercise Responses and Performance: A Review Christopher G. Ballmann J Funct Morphol Kinesiol. 2021 Jun; 6(2): 33. Published online 2021 Apr 8.
2) Effect of music tempo on exercise performance and heart rate among young adults. Avinash E Thakare, Ranjeeta Mehrotra, Ayushi Singh Int J Physiol Pathophysiol Pharmacol. 2017; 9(2): 35–39. Published online 2017 Apr 15.
3) The effect of different types of music on patients' preoperative anxiety: A randomized controlled trial. Uğraş GA, Yıldırım G, Yüksel S, Öztürkçü Y, Kuzdere M, Öztekin SD.Complement Ther Clin Pract. 2018 May;31:158-163.

▶PROFILE
百瀬 能成
一般社団法人MOSC 百瀬整形外科スポーツクリニックの院長。
スポーツの世界に「Player’s first(プレイヤーズ・ファースト)」という言葉があるように、患者様を第一に考える「Patients’s first(ペイシェント・ファースト)」を理念として、スポーツ傷害や整形外科疾患の治療にあたる。松本山雅FCチームドクター。医学博士。