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【浅川 隼人:松本山雅FC】    感謝を胸に           地域と共鳴する「11」

地域とともに――。
言葉にするのはたやすいが、実際にピッチ内外で体現するのは簡単ではない。だが松本山雅FCに今季加入したストライカーは、そのハードルを軽やかに超えてインパクトを与えている。浅川隼人、29歳。その身体をつき動かす原動力は、地域との強い絆だ。

「山雅が人生の一部になっている方々が多い。チームが勝てば最高の1週間になるし、負けたら本当に苦しい。だからこそ僕もまだまだゴールが足りない」。力を吹き込んでくれたサポーターの日常を彩るために、ピッチを疾走する。第17節を終えた時点でリーグ3位タイの8得点。職人芸のワンタッチゴールでネットを揺らし、得点王へ突き進む。

これだけでも十分に活力を与える存在だろう。しかし浅川を浅川たらしめる理由はピッチ外。「こども食堂」を奈良クラブ時代から続けるなど、地域課題の解決に取り組む。山雅でも新たな活動を6月末からスタート。信大医学部附属病院の小児科と連携し、入院患者の保護者に弁当を届ける。喫茶山雅が作るもので、選手向けのケータリングと同様の栄養バランスが良いメニューだ。
「親御さんはずっと付き添わなければならず、食事も院内で買える限られたものばかりと聞いた。それに、彼らが一番求めているのは生きること。選手が来ても、人気キャラクターみたいに歓声が上がることも多分ない」
ニーズを深堀りして形にする。だが、真価はその先だ。「続けるためには収益を作っていかないといけない」。例えば定期的にサッカー教室を開き、その売上を活用する。個人単位ではなく、クラブの枠組みでサステナブルにする。そうすれば、たとえ自らがチームを去っても仕組みは残るはず――。そこまで突き詰めて考える。

このように、ピッチ外でも地域のハブとなる浅川。そこに労力を注ぐのがピッチ内にも繋がるといい、「他人に喜んでもらう力が、結局は自分の力になる。キャリアが続く限りその両輪で回していく」と話す。大学卒業後、アマチュア契約でJ3のY.S.C.C.横浜に加入。独自性を模索する中で身近な存在であろうとし、その価値観を練り上げた。
だからこそ、もともと地域での存在感が強かった山雅は理想郷のようなもの。活動内容を相談する際にクラブ側からの提案も積極的に受けたといい、「山雅に来て間違いなかった。この地域に山雅がある意味をもっと感じたい」とうなずく。
「一緒に戦ってくれた仲間がいたから山雅に来られた。今いる自分は当たり前じゃない」。その言葉が示すように、根底に横たわるのは感謝の念だ。パスを繋いだ仲間に感謝してゴールを仕上げ、スタジアムの応援に身を引き締めてピッチに立つ。「感謝の反対は『当たり前』だと思う。例えば6,000人も来てくれるのは当たり前じゃない」と浅川。周囲のおかげで自分がある。背番号11はそれを体現しながら、新たな緑を芽吹かせていく。


Profile
浅川隼人(あさかわ・はやと)
松本山雅FC
1995年5月10日生まれ、千葉県出身。八千代高から桐蔭横浜大を経て、2018年にJ3のY.S.C.C横浜に加入。20〜21年はロアッソ熊本、22〜23年は奈良クラブでプレー。22年はJFL得点王となり、奈良のJ3参入に貢献した。24年、松本山雅FCに加入。178cm、70kg。

取材/大枝令