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【AC長野パルセイロ  小西陽向】オレンジの申し子 ドリブルで未来を切り拓く

アカデミーの誇りを胸に、日向で花を咲かせるときが来た。
 AC長野パルセイロU-18から初のトップ昇格を果たしたドリブラー。2年目の昨季は、ホーム・カマタマーレ讃岐戦でプロデビューを遂げた。「緊張して何もできなかったが、サポーターの皆さんに拍手で迎え入れてもらって、その姿を家族に見せられたのはよかった」。3年目となる今季は、待望のプロ初ゴールが期待される。

 長野市出身。小学2年からNPIC HERENCIA FCに加入し、技術を重んじるチームでドリブルを磨いた。中学ではAC長野パルセイロU-15に入団。当時(2014年)はトップチームがJリーグに加盟した年で、長野Uスタジアムも完成。プロへの夢が徐々に膨らみ始めていた。
 ジュニアユース時代は県選抜にも選ばれ、順当にユースへ昇格。とはいえユースは2014年に発足されたばかりで、1年時は県3部リーグの所属だった。3年間で1部にたどり着いたが、Jユースの大会も含めて「実績は全く残せなかった」と悔やむ。「とにかく自分が引っ張らないといけないと思っていた。チームプレーというよりも、自分のやりたいようにやっていた」。チームとしても小西にボールを集め、個人技で打開する戦法。前線で光るものを見せ、トップチームの練習にも呼ばれ始めた。

 3年となった2019年は、台風19号の災害に見舞われる。練習拠点の千曲川リバーフロントスポーツガーデンが冠水し、グラウンドを転々とする日々が続いた。それでも「1年の時はほとんど土のグラウンドでプレーしていたし、環境がどうこうということはなかった」。逆境の中でも自分にベクトルを向け続け、クラブ史上初のトップ昇格を果たした。
 念願のプロ入りを果たした一方で、当時はアマチュア契約だった。「正直、見られ方を気にしているところはあった。やっていることはプロ契約と一緒だったので、そんなに気にする必要はなかったと思う」と振り返る。もともと感覚派の選手だったが、周囲のレベルにも圧倒され、プレーで迷いが生じ始める。出場機会を得られないまま、終盤には右膝前十字靭帯損傷の大ケガを負う。「最悪のシーズンだった」。

 昨季は戦列に復帰して3試合に出場し、一定の自信をつかんだ。そして3年目となる今季は、個性を尊重するシュタルフ悠紀リヒャルト監督のもと、「自分のプレーを出すこと」に力点を置く。第9節を終えて出場機会こそないものの、練習試合でゴールを積んでいる。
 モチベーションとなる材料も多い。チームは5月、ホームで松本山雅FCと対戦。J史上初の“信州ダービー”をスタンドから見守った。「山雅とはアカデミー時代も対戦していたが、あまり勝てた記憶はない。次のアウェイ(10月30日)ではなんとしても試合に出て、点を取って勝ちたい」。また3歳下の弟・瑞樹は、ユース所属の3年生。小学校から同じ経歴を歩んでいるが、共演は果たせていない。まずはアカデミー出身第1号としてチームを牽引し、将来的に兄弟でデュエットできればこの上ないだろう。

小西陽向(こにし・ひなた)

2001年12月21日生まれ。長野県長野市出身。中学からAC長野パルセイロへ入団し、2019年にアカデミー出身第1号としてトップ昇格。身長160cm、体重53kg。

取材/田中紘夢