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【渡部暁斗/渡部善斗】静寂の五輪で輝き 白馬にメダル持ち帰る

今まで通りではない舞台で、今まで以上の手応えを得た。白馬村出身の渡部暁斗と渡部善斗。コロナ禍での北京五輪に臨み、スキーノルディック複合男子団体で銅メダルを獲得。日本勢として1994年リレハンメル大会以来28年ぶりの表彰台に立ち、冬季五輪初の“兄弟メダル”となった。
 兄の暁斗にとって5度目、弟の善斗にとって3度目の五輪は、例年にない異様な空気だった。「競技面でのコロナの影響はほとんどなかった」と暁斗は言うが、いざ競技場を一歩離れれば厳戒態勢。防護服やゴーグルをまとったスタッフに出迎えられ、周囲との交流や観光もままならない。善斗は「オリンピック感があまりなかった」と本音を漏らした。
 2人は団体戦に先駆けて個人戦に臨んだ。暁斗はノーマルヒルで7位だったが、ラージヒルで銅メダルを獲り、「なんとか取れてよかった」と安堵。一方の善斗はノーマルヒルで13位、ラージヒルで25位に終わり、「実力を思い知らされた」と振り返る。

 そして迎えた団体戦。永井秀昭と山本涼太も含めた4人で挑み、前半のジャンプで4位につける。そして後半のクロスカントリーで順位を1つ上げ、銅メダルをつかんだ。暁斗は「個人戦よりも喜びが大きかった」と微笑み、善斗は「やっと目指していたものが手に入った」と自身初のメダルに胸を詰まらせる。
 チームは大会前、約5カ月をともに過ごした。最年長の永井と経験豊富な暁斗が舵を取り、「僕らはそこに合わせるだけでよかった」と善斗。4人家族のような感覚で、一体となって五輪に向かえたのは大きかったという。
 メダル獲得直後は、観戦や取材の制限もあって「肌で感じる盛り上がりは少なかった」と暁斗。事の大きさを感じたのは帰国後だった。「『メダルを取れて――』ではなくて、『レースが面白かった』と言われたのはうれしかった。競技の魅力が伝えられたと思う」。次の五輪イヤーは37歳で迎えるが、「金メダルを目指すのは当たり前で、それをどう目指すかが大事。面白いレースができるうちは現役を続けていきたい」と意気込む。


 白馬で生まれ育った誇りも忘れない。「あれだけの山岳リゾートは日本にはない」と暁斗が言えば、善斗も「どこに行っても『I’m From Hakuba』と言えるのがうれしい」と続ける。さらに暁斗は「47都道府県の中でも、長野県はスキーをやるという意味では一番。世界的に見ても、日本の雪質は「JAPOW」と言われて注目されている」と胸を張る。白馬、長野、そして日本を背負って――。“世界最強兄弟”の旅はまだまだ続く。


取材/田中紘夢
写真提供/北野建設スキー部