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【松本山雅FC 稲福卓】中盤でハードワークする “山雅魂”の体現者

167センチの小柄な身体に、松本山雅のスピリットが凝縮されている。
 それを証明したのは、昨季のJ2最終節V・ファーレン長崎戦だった。55分に交代出場し、中盤の底でアンカー起用。「練習でやってきたことをやれば大丈夫、という気持ちで臨んだ」と、プロデビューのピッチに臆せず堂々とプレーした。百戦錬磨のストライカー・都倉賢のカウンターを止めたかと思えば、ピンポイントのクロスを送るなど攻撃でも存在感を発揮。チームはJ3降格の憂き目に遭ったが、新世代の芽吹きを存分に予感させる幕切れとした。

 そもそもプロ1年目の昨季は、最後尾からのスタート。GK神田渉馬とともにクラブ初のストレート昇格を勝ち取ったものの、ベンチにも入れない下積みの日々が続く。「1年目は周りの先輩に萎縮することも多かった」と明かす。それでも地道にトレーニング。練習試合でゴールを挙げるなどして少しずつ自信をつけ、最終戦でピッチに立つ権利をつかんだ。実直にコツコツ取り組む姿勢は、まさに松本山雅が重視してきたスピリットに他ならない。
 ハードワークをいとわないスタイルも同様だ。小柄でも当たり負けせず、粘っこくボールを絡め取る。しかも、それでいて一切ケガをしないのは特筆に値する。プロ入りから現在まで、故障などでトレーニングを休んだことはただの一度たりともない。皆勤。「ケガをしないよう、当たられないようにするプレースタイルではなく、球際にガツンと行くスタイルの中でケガをしていない。練習は常に出ているのが当たり前で、休むというのがよくわからない」と話す。

 それは決して、単なる幸運や偶然ではない。特に股関節周りの柔軟性が非常に高く、それが好影響を与えている。その柔軟性は、小学4年時に1年だけ通っていた空手の効果が大きいという。「ストレッチとか股関節の股割りとかを、強引に開いて柔らかくした。それで体が柔らかくなって今にもつながっているし、ケガをしないのにも影響していると思う」と力を込める。
 こうした経緯をたどって現在に至る上で非常に大きな要因となったのが、3歳上の兄・駿の存在だ。空手も、その2年前に始めたサッカーも、そもそも兄の影響。「兄がいたチームのコーチに誘われてなんとなく始めた」。アルティスタ東御(現アルティスタ浅間)から山雅U-18に進んだのも、兄の背中を追ったのが一つの理由だった。「Jユースに入った方がプロになりやすいと思っていて、兄もちょうど入っていた。山雅は昔から見ていたし、入る決心をしてセレクションを受けに行った」と振り返る。
 「高校1年で入った当初は何もできなくて悔しい思いをした。徐々に技術などの差が先輩と比べて出てきて、試合に出られない時期もあった」と稲福。だが、そこでアンカーというポジションに出合い、水を得た魚のように躍動した。「アンカーの方がボールに触る回数が多くなる。自分は回数が増えるほどリズムが出てくる選手なので、たくさん触れるポジションはうれしかったし向いていた」という。

 そしてトップ昇格を勝ち取り、プロの世界へ。兄の駿は松本大学を経て今季から新卒で株式会社松本山雅の社員として広報担当を務めている。「責任感を強く持って兄の分まで頑張りたい」と力を込める。そして「将来的にはJ1でプレーしたいと思っているし、そのためにはこの松本山雅をJ1に上げるしかない。チームの心臓になれるよう努力したい」と稲福。大きな未来図を描きながら、松本山雅のスピリットを体現していく。

PROFILE

■稲福 卓(いなふく・たく)
2002年5月2日生まれ、長野県出身。3歳上の兄・駿の影響で小学2年からサッカーを始め、中学3年までアルティスタ東御(現アルティスタ浅間)でプレーした。ユース年代から松本山雅FCに進み、中心選手として活躍してトップ昇格を果たした。167cm、60kg。

取材/大枝令