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【松本山雅FC 小松蓮 】山雅のDNAを体現する 長身ストライカー

胸に刻まれた緑のDNAが、その体を突き動かす。
 松本山雅FCのアカデミーからトップチームの選手になった初めての選手。身長183センチの体を生かし、最前線で浮き球を競り合ったりボールを収めたり。そして最終局面でも、左利きのストライカーとして仕事をこなす。6月20日現在でJ3に10試合出場4ゴール。山雅を1年でのJ2復帰に導いていく。

 圧巻だったのは、第12節の藤枝MYFC戦だ。ロングボールの競り合いなどで制空権を掌握。自らもゴール前に侵入していき、2ゴールをマークして完勝の立役者となった。サンプロ アルウィンのリーグ戦でアカデミー出身者が得点を決めたのは初めて。「ホッとした。すごく時間がかかったし、これからもっとやらなきゃと思った。まだまだアルウィンで点を取って、サポーターが喜んでいる姿を見たい」と思いを新たにした。
 それと同時に、このゴールが持つ意味の重さも感じていた。サポーターやアカデミーの関係者などから反響が大きく、「僕がアルウィンで活躍することがアカデミーに対してどれだけ価値があるのかをすごく感じた。アカデミー出身者第1号の責任があることを改めて感じた」という。
 山雅は小松をきっかけとしてGK神田渉馬、MF稲福卓がトップ昇格。現在高校3年生のFW田中想来も2種登録されている。その後に続くアカデミー生にとって、最高の模範となっていることは間違いない。

 だが、自身の歩みは必ずしも順風満帆ではなかった。小学校時代は諏訪FCでプレー。当時から両親とアルウィンに足を運び、山雅の試合を熱心に見ていたという。ジュニアユースから山雅のアカデミーに入り、U-18ではJユースカップで史上初の4強入り。しかし高卒からプロ入りを目指していたが、トップチーム昇格は見送り。「力不足。情けなかったし、シンプルに悔しい気持ちが本当にあった」との思いを抱えながら、産業能率大に進んだ。
 そこで転機が訪れる。U-19日本代表に選ばれ、フランス遠征に帯同。国際舞台を踏み、イングランドなどと対戦した。さらにU-20、U-21の日本代表にも召集され、U-23選手権アジア予選で3試合5ゴール。「若いうちにプロの舞台でやって早く世界に行きたいと思いが強くなった」と明かす。中退してプロへ。生まれ育った山雅が、その舞台となった。
 それでも1年目は試合に絡めず、2年目からツエーゲン金沢、レノファ山口FCに3年間期限付き移籍して武者修行を積んだ。J2通算79試合10ゴール。そして今季、満を持してJ3山雅に戻ってきた。「J3に落ちてしまったことはあまり関係なかった。何より(サンプロ)アルウィンのピッチに立ちたいというのが一番。中学時代からそう思っていたし、アカデミーで6年間育った選手としての責任もある」と力を込める。

 現在はJ3から出直しを期している山雅。そのチームにあって、いち選手以上に大きな責務を自身に課している。それは、他ならぬ自らがこのスタジアムで力をもらい、明日への糧としてきたからだ。「応援している人たちが週末に笑顔でアルウィンに来て、笑顔で帰って、月曜からまた仕事を頑張れる。僕もユースの時にトップチームが勝つと、すごくうれしい気持ちのまま自転車で帰っていた。ジュニアユースの時も親と車で見に行っていたけど、勝つか負けるかで帰りの車内の雰囲気も全然違った。そういう経験をしてきたからこそ、僕が点を取ってチームを勝たせるのが一番大事」。

■小松 蓮(こまつ・れん)
1998年9月10日生まれ、東京都出身。小学3年生の時、父親の故郷である諏訪市に転居。諏訪FC時代は全日本少年大会県大会3位。山雅U-18では3年時にJユースカップ4強。U-19など年代別日本代表にも選ばれた。183cm、77kg。

取材/大枝令