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【小林 誠也:リュージュ】             リュージュの灯火を守る 〝氷上の弾丸〟

最高時速150キロ近いスピードで氷上を駆け抜ける、五輪競技の中で最も速い競技・リュージュ。その日本で唯一のシニア選手として孤軍奮闘するのが、長野県飯綱町出身の小林誠也だ。

 「自分がリュージュを初めて知ったのが小学校5年生のとき、スワンプロジェクトの募集要項だった」と振り返る小林。元々そり遊びが大好きだった少年は、この競技に魅力を感じて足を踏み入れた。
 「専用のコースで滑れるのがすごく楽しかった。リュージュは遊びのそりと体勢がそんなに変わらないから、それもあって全然、最初は怖くもなく楽しく滑っていた」
 しかし、リュージュは危険と隣り合わせの競技でもある。「昔は怖さなんてなかったけれど、今は経験を重ねるごとに感じる」と小林。それでも競技を続ける理由は、その奥深さに魅せられたからだ。「怖さもありながら、やっぱり難しい繊細な競技だと個人的に思っている」。高速の中で繊細な操作を求められ、タイムを競う。「自分の納得のいく滑りができてゴールした時の達成感が、リュージュの魅力」。

 操作は全身を使って行う。「足首の部分を押さえて、それが舵になる。全身のねじれを利用したりして操作をしていく」。首の向き一つでも影響が出るほど繊細で、「(ボブスレー、スケルトンも含めた)3競技の中でも操作は効きやすい」と技術介入の余地を説明する。

 競技人生のターニングポイントは中学3年生の時だった。全日本選手権で3位。2014年ソチ五輪出場の金山英勢もいる中でのメダル獲得は大きな自信となり、周囲にも称賛された。「自分は行けるかもしれない――という自信が生まれてきた」と明かす。
 22年の北京五輪には日本代表として出場。「めちゃくちゃ緊張した」と振り返るものの、「見てもらえる数が増える。親や知っている人に見てもらえたのが一番うれしかった」と、競技の魅力を多くの人に伝える機会となった。

 現在は国内唯一の練習拠点だった長野スパイラルの閉鎖に伴い、練習拠点を海外に移している。日本のリュージュ界で「生き残り」となった小林。「責任重大だよ」「期待がかかっているから」――。そうした周囲の声を受け止めつつ、ポジティブなマインドで重責に向き合う。「自分の好きなものをみんなに知ってもらえる。こういう機会がないとなかなか難しいとは思う」と明朗快活だ。

 26年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に向け、明確な目標を設定した。「前回達成できなかった4本目には確実に進みたいし、あとは日本最高順位(16位)の上の15位を目指したい」。そのために北京五輪後は体重を60キロ台から84キロまで増量し、競技力向上を図っている。
 「競技者がいなくなってしまうのは自分としてもすごく悲しい。このリュージュ競技をもっと多くの人に知ってもらって、また長野で滑ることができたら、本当に最高の展開だと思う」。氷上の弾丸として駆け抜ける小林の挑戦。それは日本のリュージュ競技の灯火を守る戦いでもある。


Profile小林誠也(こばやし・せいや)
リュージュ
2001年8月11日生まれ、飯綱町出身。中外印刷株式会社所属。小学校5年生の時、長野県のアスリート養成「スワンプロジェクト」をきっかけにリュージュを知る。2022年北京冬季オリンピック日本代表。アジア選手権3連覇、ワールドカップ最高成績16位。日本で唯一のシニアリュージュ選手として活動を続けている。身長172cm、体重84kg。
取材/大枝令