準決勝の小諸商業戦は10ー0の六回コールドゲームで圧勝し、長野俊英との決勝も9ー0で快勝。混戦が予想された今年の全国高校野球選手権長野大会は、終わってみれば長野日大の強さが際立った。「積み重ねてきたものを必死に出そうとする選手たちの姿に感動した」と松橋将之監督。派手さはないが、基本に忠実な野球を体現して県の頂点を極め、15年ぶりに夏の甲子園切符をつかんだ。
大会史上初めて、長野市内の学校同士がぶつかった決勝。長野日大は1点リードで迎えた四回、早くも試合の大勢を決定付ける攻撃を展開した。
先頭の小山泰斗が死球で出ると、続く田村快斗が試みた送りバントが安打となってチャンス拡大。宮澤律羽が送って1死二、三塁とし、ラストバッターの堀内恒希が外の変化球を逆らわずに右前に運んで1点を追加した。打順がトップに返って打席の玉井洸成は、フルカウントからファウルで2球粘り、8球目を中堅手左にはじき返す適時二塁打。さらに小田切快成の鋭い打球が前進守備の内野手を襲い、敵失が絡む間に2者が生還して一挙4得点のビッグイニングにつなげた。
この試合で長野日大が放った安打は14本。そのうち長打は玉井の二塁打のみで、残る13本は全て単打だった。ストライクとボールを見極め、打てる球がきたらコンパクトなスイングで低く鋭い打球を放つ。松橋監督が「いやらしい野球」と表現するスタイルは、壁を越えられないチームが時間をかけて築いてきた自分たちの形そのものだった。
昨夏の長野大会4回戦で敗れた後に発足した新チーム。秋の県大会、今春の県大会とも準決勝まで勝ち進んだが、その壁を越えられず決勝の舞台に立てなかった。ともに上田西が相手だった準決勝は、昨秋が3安打2得点、今春は7安打しながら無得点。同じ課題を突きつけられたチームは、夏の大会に向けて自分たちの足元を見つめ直した。
「大きな当たりはいらない。四死球もヒットと同じ」と主将の玉井。つなぎの意識を徹底すると、持ち前の打線は一気に厚みを増した。長野大会の準決勝と決勝は、相手監督が脱帽するしかない打線へと変貌。決勝までの6試合でわずか2失策と守りも堅く、計2失点の盤石な試合運びで相手を寄せ付けなかった。
初出場だった2009年の甲子園は、2勝してベスト16進出を果たした。15年ぶりの大舞台では「優勝しか狙っていない」と松橋監督。玉井は「一つでも多くのウイニングボールをとれるよう、一試合一試合を大切に戦いたい」と力を込めた。
長野日本大学高校
1959年に長野中央高校として開校し、88年に現校名に改称した。所在地は長野市東和田。小学校と中学校も併設し、小中高一貫教育を掲げる。野球部は2008年の選抜大会でベスト8、09年の夏の甲子園でベスト16。リオデジャネイロ五輪シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)銅メダリストの箱山愛香を輩出している。