医療コラム

人間万事塞翁が馬vol.15 GPSとACWR

グローバルポジショニングシステム:gloval positioning system : GPSは、いま地球上のどの位置にいるかを特定することができるツールです。GPS機能のついた電子機器と複数の人工衛星の間で信号が送受信され、その人の位置や移動距離などを正確に確認することができます。私たちはスマホやウェアラブルウォッチを用いて、現在地を確認したり、目的地までの距離を測定したり、日常生活の様々な場面でGPSを活用しています。
スポーツの世界でも、GPSを用いた様々なデバイスが開発され、試合の分析やトレーニングに応用されています1)。例えば、試合中にウェアラブルデバイスを装着してプレーすることで、GPSによって試合中の選手の位置、移動距離、移動速度などを正確に測定することができます。また日々のトレーニングでも同様に、選手の走行距離やランニングスピードを観察することができるため、選手のトレーニング強度や、様々なデータを収集、分析することが可能となっています。Jリーグでは、数年前から選手が90分間にどれだけの距離を走り、スプリントを何回行ったか、トラッキングデータとよばれるデータが毎試合公表されています。GPSによって選手のパフォーマンスを数値化することができるので、選手やコーチは試合ごとの評価や分析に用いることができ、個々のパフォーマンス向上のために利用したり、また心拍数の変化や、「走りすぎていないか」といった疲労度を評価してトレーニングと休息の量をコントロールすることで、ケガの予防にも役立てています。選手が試合やトレーニングでどれくらい走り、どれくらいの強度でプレーしていたかを客観的に把握することができるので、「十分に走っていない」ということも確認できてしまいます。私が学生のころ、練習をさぼっていたら神様が見ているとよく怒られましたが、今はGPSによって、さぼらずにちゃんと練習しているのかわかってしまうのですね。
また近年、スポーツ選手のトレーニングによる負荷とケガの発生リスクを理解するための指標として、急性-慢性負荷比率acute chronic workload ratio : ACWRという数値に注目した研究がされています2)。これは急性=「1週間のトレーニング負荷量」を慢性=「4週間の平均のトレーニング負荷量」で割った数値になります。GPSによって数値化された練習負荷から、「この1週間でどれだけ頑張ったか」と、「過去4週間で平均的にどれだけ頑張ったか」の比率を計算し、これが0.8~1.3であればケガはしにくいという研究結果がでています3)。この比率が高すぎると、つまり1週間で急に頑張りすぎてしまうと、ケガをしやすくなるということです。選手が突然強度の高いトレーニングにさらされると、身体は適応するのに時間がかかるためケガのリスクが高まりますが、一方で、適切な負荷と休息のバランスが保たれた状態でトレーニングの負荷を上げ続けていくと、選手の身体は徐々に強度の高いトレーニングにも適応し、ケガは発生しにくく、なおかつパフォーマンスが向上していきます。GPSのデータを基に選手が最適な負荷量を維持できているかを確認しながら、ACWRをコントロールしてトレーニング強度を上げていくことで、ケガを予防し、パフォーマンスを上げることが可能となるのです。5月、6月は中学校へ進学して部活動を始めたばかりの学生さんや、最後の大会を控え、急に練習量が増えた中高生の選手がクリニックを受診される機会がとても多いです。彼ら彼女らにケガが多発するのは、おそらくACWRが高い状況なのだと思います。GPSで頑張り具合をチェックしながら、ACWRでケガのリスクを下げることができれば、ケガはもっと予防できるかもしれません。
1) Wearable Performance Devices in Sports Medicine.Li RT, Kling SR, Salata MJ, Cupp SA, Sheehan J, Voos JE.Sports Health. 2016 Jan-Feb;8(1):74-8. doi: 10.1177/1941738115616917. Epub 2015 Nov 11.PMID: 26733594 Free PMC article.
2) The Relationship Between Acute: Chronic Workload Ratios and Injury Risk in Sports: A Systematic Review.Maupin D, Schram B, Canetti E, Orr R.Open Access J Sports Med. 2020 Feb 24;11:51-75. doi: 10.2147/OAJSM.S231405. eCollection 2020.PMID: 32158285
3) Does an Optimal Relationship Between Injury Risk and Workload Represented by the "Sweet Spot" Really Exist? An Example From Elite French Soccer Players and Pentathletes.Sedeaud A, De Larochelambert Q, Moussa I, Brasse D, Berrou JM, Duncombe S, Antero J, Orhant E, Carling C, Toussaint JF.Front Physiol. 2020 Aug 28;11:1034. doi: 10.3389/fphys.2020.01034. eCollection 2020.


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▶PROFILE
百瀬 能成
一般社団法人MOSC 百瀬整形外科スポーツクリニックの院長。
スポーツの世界に「Player’s first(プレイヤーズ・ファースト)」という言葉があるように、患者様を第一に考える「Patients’s first(ペイシェント・ファースト)」を理念として、スポーツ傷害や整形外科疾患の治療にあたる。
松本山雅FCチームドクター。医学博士。