医療コラム

人間万事塞翁が馬 vol.31 眠れない

試合前の夜、アスリートはしばしば緊張や不安に悩まされ、眠れなくなることがあります。大事な試合前に限ってなかなか寝付くことができず、明日のために早く眠りにつきたいと思えば思うほど目が覚めてしまい、ますます眠れなくなってしまいます。睡眠不足は翌日のパフォーマンスに影響を及ぼすため、試合に向けてトレーニングをしてきたのに十分な睡眠をとれなかったことで思うように結果を残せなかった、という苦い経験をされた方もいるかもしれません。では、なぜ人は緊張すると眠れなくなるのでしょうか?

試合前に感じる緊張は、二つの理由が考えられます。一つは試合に向けての期待と興奮によるものです。これまでトレーニングに励み、よい準備をしっかりしてきたという自信や、試合で良いパフォーマンスを発揮したいという強い思いから「こんなプレーをしてやろう!」「必ず良い結果を出す!」という前向きな気持ちが期待と興奮を生み、緊張感が高まっていきます。これは決して悪いことではなく、アスリートとして自然な反応でありポジティブな感情として捉えるべきでしょう。もう一つは、「失敗したらどうしよう?」「思うようにプレーできなかったら?」といったネガティブな思考から不安が生じ、それによって緊張感がさらに高まってしまう状態です。どちらの場合も、感情が大きくなると脳は覚醒状態に陥ってしまうため、眠れなくなるのです。

これにはいずれも自律神経の働きが関係しています。自律神経には交感神経と副交感神経の二つがありますが、緊張すると交感神経が優位に働くために心拍数や血圧が上昇し、身体はいわゆる「戦闘態勢」に入ってしまいます。また、不安が強くなるとストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールが体内に分泌され、それによって脳はさらに興奮状態を維持するために、リラックスして眠ることが難しくなってしまいます。このような状態では寝つきが悪いだけでなく、睡眠自体も浅くなってしまい、十分な休息がとれなくなってしまいます。

このようなときには、交感神経の働きを和らげ、副交感神経が優位に働く状態を意図的に作り出す必要があります。試合前の緊張を和らげてリラックスした状態で眠りにつくためには「腹式呼吸」が効果的です。腹式呼吸は、お腹を膨らませながら横隔膜を大きく引き下げ、鼻で息を吸い込みゆっくりと口から吐き出す呼吸法です。通常、私たちは胸式呼吸といって主に胸郭を膨らませたり縮ませたりして呼吸しますが、深くゆっくりと行う腹式呼吸では徐々に副交感神経が活性化され、心拍数が下がり、身体がリラックスした状態に戻ります。緊張や不安で寝つきが悪いときには、この呼吸法を取り入れることで心の落ち着きを取り戻し、自然に眠りにつくことができます。さらに腹式呼吸は、腹圧コントロールの強化するための運動であり体幹トレーニングにもつながります。横隔膜を使って深い呼吸を行うことは、体幹安定性を高め、スポーツにおける姿勢やバランス向上に効果があります。腹式呼吸は体幹トレーニングの最も基礎となる運動ですから、眠りにつくだけでなく、明日の試合のためのトレーニングにもなるまさに一石二鳥の呼吸法なのです。

試合前に眠れないのは、皆さんが一生懸命トレーニングをしてきた証拠です。明日への期待と不安が入り混じり緊張感が高まって眠れなくなってしまったときには、腹式呼吸を取り入れることで心と体をリラックスさせて自ら眠りやすい状態を作ることができます。

 

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▶PROFILE
百瀬 能成
一般社団法人MOSC 百瀬整形外科スポーツクリニックの院長。
スポーツの世界に「Player’s first(プレイヤーズ・ファースト)」という言葉があるように、患者様を第一に考える「Patients’s first(ペイシェント・ファースト)」を理念として、スポーツ傷害や整形外科疾患の治療にあたる。
松本山雅FCチームドクター。医学博士