パラスポーツ

パラスポの魅力を発信!「スポーツに夢中」 青木辰子さん

アスリート人生の集大成!目指すのは最高の舞台


「アスリートの持つ強さや優しさは、自分の弱さを誰よりも知ってるからだと思います。常に客観視してるんです。鍛えるべきところが見えてきますよ」真剣な表情で語るのはアーチェリー選手の青木辰子(あおき たつこ)さん。以前はアルペンスキーの選手として長野パラリンピックで銀メダル、トリノでは銅メダルと輝かしい実績を残している。「金メダルがないのが悔しいなあ」と笑いながら話す青木さんだが、なぜこれほどまでの結果を残しながらアーチェリーへの転向に踏み切ったのだろうか。

「ソチパラリンピックの前に肩を故障しました。そこから競技へ復活しオリンピックの代表権を得るため、できることは本当に全てやり尽くしました。これ以上ないというくらいベストを尽くしました。でも、結果はダメだったんですね。その時、やりきった!私の力はここまでだと実感しました。自分でも不思議なくらいにスキーをすっぱりとやめることができたんですよ」そして、こう続けた「次は何をしようかな。心の中では新しいステップへ向かってワクワクしていました」と同時に、20年前に1回だけプレーしたアーチェリーが頭をよぎっていたという。
 
 武道にも通じるアーチェリー。針の穴を通すような繊細な競技。メンタルとフィジカルの融合そのものだ。「実は私こういう類の競技が苦手なんです。だからこそ、これまで培ったものを注ぎ込みたくなりました」。自身のアスリート人生の集大成として青木さんはアーチェリーを選んだ。「この競技の一番の面白さは何だと思いますか?当たらないところですよ。そこがプレーヤーを夢中にさせるんです」練習は大会が近づけばほぼ毎日、ふと気が付くと2週間休みなしで練習していたこともあったという。「やるからには真剣に取り組まないと。これまでプレーをしていた方達にも失礼にあたりますし、絶対に競技を極めると決めました」。

アスリートとして大輪の花を咲かせたアルペンスキー。その他にも学生時代に機械体操を経験している。「これまでの成果かな?体幹がしっかりしてるので最初から重い弓を引けてしまったんです」まさに培ってきた力のすべてを捧げている。「東京もパリも狙っていきますよ!」そう大きく笑う姿から、近い将来念願の金メダルを首にかけ、表彰台の一番高い位置で最高の景色を見渡している青木さんが見えるような気がした。

青木辰子(あおきたつこ)さん
1960年3月3日生まれ
長野市在住
所属:サンアロー信州
人生のモットーは「常に目標を持つこと」と語る。のめり込みやすい性格で何事も一生懸命に取り組まないと気が済まないという。