絶頂からどん底へ。それでも彼はサッカーボールとともに、再び世界一を目指す。
長野市出身のYo(勝山耀)は、2017年にフリースタイルフットボールの全国大会で優勝し、弱冠20歳で日本一に輝いた。2019年には2つの世界大会に出場し、準優勝とベスト8を記録。本人が「僕の年だった」と語るように、当時は怖いものなしだった。
「仕事もかなり入ってきて、2カ月に1回は海外に行っていた」。順風満帆なキャリアを歩んでいたが、徐々に歯車が狂い始める。国内外を転々とするハードな活動の中で、年末に大怪我を負う。そのまま2020年に入ると、追い討ちをかけるように新型コロナウイルスが流行。大会やイベントは軒並み中止となり、活躍の場さえも失った。
コロナ禍で、業界はオンラインの大会やイベントに舵を切った。だが、Yoは復帰後も負の連鎖に見舞われる。怪我が相次ぎ、本来の力を取り戻せなかったのだ。
「全く動けないわけではなかったが、大会に出ても力が出せず、『こんなの俺じゃない』と。心も身体もどんどんしんどくなって、光が1ミリも見えなかった」
2020年の全国大会はシード枠で最終予選から参戦。「シードに入れてもらったので、少しでも大会を盛り上げたかった」と強行出場したが、あえなく予選敗退に終わる。それでも「負けるなら清々しく負けて、またがんばれば良いだけ」と言い訳は一切しなかった。
怪我の功名もあった。第一線で走り続けてきたため「大会に集中しすぎて、勉強する時間がなかった」と過去を振り返る。離脱期間にフリースタイルフットボールや各種ストリートスポーツを一歩引いて見ることで、視野が広がったという。
そして、今年5月に光明が差す。約1年半ぶりにコンディションが整い、全国大会へ本腰を入れ始めた。得意のエアームーブ(跨ぎ技)を軸に、今までにないアクロバットな動きも織り交ぜてオリジナリティを発揮。新たなスタイルが功を奏し、最終予選を2位通過した。現在は8月末の決勝大会を見据え、着々と準備を進める。
全国大会を制すれば世界への切符を手にできる。2017年以来日本一のタイトルから遠ざかっているが、「世界大会まで見据えている」と強気な姿勢だ。「僕にとっては世界一がスタート。地元の方々をはじめ多くの人に見ていただいて、憧れられる存在になりたい。目標を叶えるには世界一になるしかない」。怪我とコロナ禍を乗り越え、4年ぶりの日本一奪還へ。その先の“スタートライン”へ――。
彼の旅は、まだ始まったばかりだ。
<取材/田中紘夢>