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【CHOPPA→/ブレイクダンス】道を切り拓く「ブレイカー」

音楽に合わせたアクロバティックなムーブで観客を沸かせるブレイキン(ブレイクダンス)。2024年パリ五輪の正式種目に採用され、長野県内ではプロダンサー・CHOPPA→(チョッパー)が精力的に活動中。LDHグループ運営のスクールで8年間講師を務めた第一人者は、「長野からスターを!」と目標を掲げながら後進を育てている。

 テレビで受けた衝撃が、人生を決めた。当時は高校1年生。人気番組「めちゃ×イケてるッ!」で、岡村隆史さんのブレイキンに魅せられた。スクールを探したが見つからず、関東の大学に進んでダンスサークルに入った。長野市出身で、上田西高時代まではバスケットボール部。運動はそつなくこなせるタイプだったというが、ブレイキンは違った。
 例えば代表的な技の一つ・ウインドミル。フロアに背中をつけながら両足を回転させるムーブだ。「できるようになっても、フォームがカッコ良くない。うまい人のシルエットに全然ならないし、自分ではできているつもりでも周りから見たらダサいこともある。音楽に合っていないとダンスじゃないし、これは本当に奥が深いと思った」。持ち前の負けん気と向上心に火がついた。
 ブレイキンの愛好者は「B-Boy」と呼ばれる。互いに認め合うカルチャー。国際大会で、緊張関係にある国のB-Boy同士もダンスを通じて打ち解ける。「世界中のどこに行ってもB-Boyならすぐに分かり合える。他人と違うことが承認されるし、年代も体格も関係ない」。ダンスに対する打ち込み方も多種多様。おおらかさも水に合った。

 ブレイキンに没頭し、迎えた4年次。就職の内定は得ていたが、思い直した。「人生は1回だけ。せっかくだからやりたいことをやれるだけやってみよう」。4年間をリミットに設定し、プロダンサーの道を模索した。プール監視員やフランス料理店などアルバイトを掛け持ちし、夜はダンスの練習。フランスの国際大会でベスト4に入るなど経験も積んだ。しかし結婚するなら継続は困難――。そう判断して就職を模索した5年目、パフォーマンスを見ていた会社経営者からオファーを受けた。
 ダンスを業務とする正社員として入社。その会社がEXILEの所属するLDHグループの傘下に入り、8年間で200人のブレイクダンサーを育成した。次なる針路は長野。アイデアを列記する中で故郷に目が向いたといい、現在は長野市、松本市、上田市の10カ所で約100人の生徒を持つ。「世界一になりたくてずっと頑張っていたけどなれなかった。今度は次世代の長野の子たちが、僕に代わって世界一になってくれるのが一番の夢」という。
 このほか、新設された一般社団法人「アーバンスポーツ信州」にも加盟。スケートボードやパルクール、e-sportsなどとともに新たなムーブメントを巻き起こそうとしている。文字通り、ブレイカー(突破する者)として歩んできた半生。長野県に種をまき、次世代の開花を待つ。


【プロフィール】
CHOPPA→(チョッパー)
1986年生まれ、長野市出身。柳町中と上田西高時代はバスケットボールに打ち込み、城西国際大のダンスサークルでブレイキンを始める。オールラウンダーで、音楽とダンスをリンクさせる「音ハメ」を得意とするタイプ。現在は長野市内8カ所のほか松本市と上田市でもスクールを展開。日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス部長野県部長も務める。本名・真鍋謹良。

取材/大枝令