5月17日、下諏訪町役場前の沿道は、初夏の光に包まれていた。抜けるような青空の下、野明花菜選手を一目見ようと集まった人たちが歩道を埋め、手を振る子どもたちの声と祝福の拍手が広がった。その野明選手に付き添ったのは、地元スケートクラブで競技に打ち込む4人の小中学生だった。町内外から駆けつけた多くの人々のまなざしは、オリンピックの舞台を経験し、ふるさとへ帰ってきた21歳のスケーターへとまっすぐに注がれていた。その光景は、野明花菜という選手が、単なるメダリストではなく、地域の誇りとして迎えられていることを鮮やかに物語っていた。

野明花菜の魅力は、華やかな実績の裏側にある自然体の強さにある。幼い頃からスケートに親しむ一方で、水泳にも打ち込み、その競技生活は小学校6年生まで続いた。中学に進んでからはスケート1本に絞ったが、最初から競技の面白さを強く感じていたわけではない。本人の言葉をたどれば、中学時代はまだスケートの楽しさをはっきりとは見いだせていなかった。その時間を、母の三枝さんは急がせることなく温かく見守った。競技への思いが揺れる時期にも、無理に答えを求めず、静かに寄り添う存在があったことは大きかっただろう。

高校は岡谷南高校へ進学。ここで野明の競技人生は大きく動く。転機となったのは高校1年のインターハイだった。女子500メートルで3位に入り、全国の舞台で明確な手応えをつかんだ。戦えるという実感は、漠然としていた目標を具体的なものへ変えていった。上を目指したいという意志が、この時にはっきりと芽生えた。もっとも、野明を支えたのは結果だけではない。高校時代の部活動には、競技を続ける理由そのものがあった。苦しい練習をともに乗り越える仲間がいて、先輩や後輩と過ごす時間があり、部室で笑い合う日常があった。そうした日々が、厳しい練習を前へ進む力に変えた。本人が語るように、部活の仲間たちと過ごす時間こそが、競技を続ける支えだった。そして、その高校時代の日々が形になった瞬間として、野明が今も一番うれしかったと振り返るのが、高校3年のインターハイで学校別女子総合3位になった時だった。個人の順位だけでは語れない、仲間とともにつかんだ結果だったからこそ、その喜びは今も特別な記憶として残っている。
高校からは父・弘幸氏の指導を受けてきた。元世界記録保持者であり、母・三枝さんと同様に五輪も知る存在だが、父として、指導者として、野明を強く押しつけるのではなく、常に優しく見守ってきた。レース前も過度に縛ることなく、自分の考えで挑む余白を与える。その姿勢が、野明の自立心とレースでの思い切りの良さを育てた。大学進学後は競技と学業の両立に挑み、自ら練習計画を組み立てる時間も増えた。2024年12月にはワールドカップ北京大会の練習中に左足首を骨折したが、その試練も競技を見つめ直す時間に変えた。支えてくれた友人たちの存在もまた、野明の歩みを支える大きな力だった。復帰後は再び世界の舞台に戻り、2025―26シーズンのワールドカップ開幕戦で女子チームパシュート優勝に貢献し、ミラノ・コルティナ冬季五輪では銅メダル獲得に加わった。

大舞台で得た経験は、野明にとって新たな出発点でもある。次に見据えるのは、まず全日本で優勝を勝ち取ること。個人種目で頂点に立つという目標へ向け、日々の練習を1つずつ重ねていく。その挑戦は既に始まっている。仲間、家族、支えてくれる人たちの思いを受け取りながら、野明花菜は次の景色へ着実に歩みを進めている。

【メッセージ】
つらい時があっても、耐えて耐えて耐えた先に見える景色はきっとあります。すぐに結果が出なくても、自分のペースで一歩ずつ進めば大丈夫。挑戦した時間は、きっと未来の力になると思います。
Profile
野明花菜(のあけ・はな)スピードスケート
2004年11月28日生まれ。下諏訪町出身。
下諏訪南小学校、下諏訪中学校、岡谷南高校を経て、立教大学スポーツウエルネス学部に在籍。2024年世界ジュニア選手権では3000メートル2位、500メートルとマススタートで3位に入り、チームパシュート金メダルと合わせて4個のメダルを獲得。2025―26シーズンのワールドカップ開幕戦では女子チームパシュート優勝に貢献し、2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪では同種目で銅メダル獲得に加わった。
取材・撮影/児玉さつき
