特集

【小松 蓮:松本山雅FC】「期待の星」ブレイクの時 父とともに描いた軌跡の先へ

「将来はもちろん松本山雅FCに入りたいです。塩沢選手のような、泥臭い粘りのあるプレーができる選手になりたいです!」
 10年前に本誌創刊号で夢を語っていたあどけない少年が、夢をかなえてサンプロ アルウィンのピッチを駆けている。当時と同じエンブレムを胸に、憧れていた19番を背負い、アカデミー出身第1号として、山雅の未来を背負って戦っている。しかも今季はゴールを量産中。いよいよ殻を破る時を迎えようとしている。

 13歳から松本山雅FC(当時JFL)のU-15に所属。「山雅はJリーグ加入を目指していたし、『Jの育成組織』ということが僕ら家族にとっては重要だった」。プロキャリアを歩むことは家族全員の夢で、あらゆる努力を惜しまなかった。とりわけ父の姿勢は「つらくてたまらないほど厳しかった」と当時を振り返る。
 氷点下の諏訪の冬も、毎朝6時から父と2人で練習を欠かさない。「その時は嫌でしょうがなかった。でも、今があるのは間違いなく当時のおかげ。自分一人だったらここには来ていない」。子どもらしい遊びもせず、サッカーだけに打ち込む日々。なかなか結果に繋がらず自信を失うたび、「必ずプロになれる」と背中を押し続けてくれたのもまた父だった。
 U-18からのトップ昇格とはならず、産業能率大学へ進学。年代別日本代表への選出を機に、中退してプロ入りを決意した。側にはいつも父の姿があった。「物心ついてからずっと、何か重要な選択を迫られたときには必ずミーティングをしていた。すごく大きい存在ゆえに、頼りすぎてしまっていた」。
 しかしその父が昨年亡くなり、自分自身を見つめ直した。守るべき家族を背負って、サッカーでキャリアを積み重ねていく覚悟と向き合う。「本当の意味で大人になれた」と、表情を引き締める。

 昨年、山雅のJ2復帰が叶わなかったことも、大きな心境の変化を生んだ。FWの最大の役割は「得点すること」。そのために私生活から全てを見直した。「食事も睡眠も、『自分に今、何が必要なのか』を本気で考えて、全てをチョイスしている」。5月現在、J3得点ランキング1位。自らのゴールでチームを勝たせ、優勝という結果を示し、さらなるキャリアのスタートラインに立つ。「得点王を取って優勝して、やっとここから本当のサッカー人生が始まる」と、今なお夢の向こう側を目指す。

 心が揺れた時に父がいつもくれた「お前ならやれる」の言葉は、揺るぎない自信の源だ。「ブレずに夢を描いて、口に出して認識すれば、何が必要なのか見えてくる。きちんと努力して、根拠を持って『なれる』と言い続ければかなうことを、今あらためて感じている」。アカデミーの一番星は、松本の一等星へと進化を遂げる。父と歩んだ軌跡を、確かな礎にして。


Profile:
小松 蓮(こまつ れん)
1998年9月10日生まれ。東京都出身。3歳で神奈川県に転居し、東京ヴェルディサッカースクールに通う。7歳で諏訪市に転居。以降は諏訪FC、松本山雅FC U-15、松本山雅FC U-18に所属。2017年に産業能率大学へ進学後、年代別日本代表に選出。2018年に松本山雅FCでプロキャリアをスタート。金沢と山口へ3年間期限付き移籍し、2022年に復帰。2023年5月現在、J3得点ランキング首位。

取材/佐藤春香