塩尻育ちの柔道家が、花の都で咲き誇った。7月29日、パリ五輪柔道女子57kg級に出場したカナダ代表・出口クリスタ。決勝は許美美(韓国)とゴールデンスコア方式の延長戦にもつれたが、相手に3度目の「指導」が出されて反則負け。出口が悲願の金メダルに輝いた。
「今までで一番質量があるメダルだったので、シンプルに『重いな』と思った。かけてもらえる表彰台に立てたことがうれしい」。掲揚されるカナダ国旗を仰ぎ見ながら、その双眸を潤ませた。
柔道カナダとして初の五輪金メダル。その瞬間こそメイプルリーフに思いを馳せていたかもしれないが、生まれ育ったのはまぎれもなく中信地方だ。塩尻市出身。3歳の時に地元の長野誠心館道場で柔道を始め、丘中時代に頭角を現す。松商学園高時代にはインターハイ制覇。しなやかで強靭なその心身は間違いなく、郷土が育んできたと言えるだろう。
実際、自身も「緑が多いし自然が多い場所で、外で遊んだりして今の身体能力がついたと思う。実家の近くの人たちには小さい頃から家族のように、『柔道頑張ってるね』『練習頑張って』と声をかけて見守っていただいた。そのおかげでここまでやってこられたし、本当に唯一無二の故郷だと思う」と振り返る。五輪後まもなく帰郷し、妹のケリーとともにさっそく「おやき」に舌鼓を打ったという。
8月14日には女子52kg級に出場したケリーとともに、塩尻市の凱旋パレードに主役として出席。表敬訪問の際には、百瀬敬市長から「名誉市民になっていただければ」と申し出を受けて快諾した。五輪の金メダルは同市出身者で史上初の快挙であるだけでなく、夏季大会の個人種目としても長野県出身者として初となる。
しかし栄冠までの道のりは、苦難に満ちていた。まずカナダからの度重なるオファーに応じて2014年、カナダ国籍を選択。17年からはカナダ代表として国際大会に出場するようになった。しかし21年の東京五輪はカナダ代表の選考方式がコロナ禍の影響で直前に変更となり、一発勝負の世界選手権で敗れた。「スタートラインにも立てませんでした。不甲斐ないです」。当時、自身のSNSでそう発言していた。
「東京が終わってからの3年間は本当に、体感的にすごく長く感じた。小学校1年生から6年生まで過ごしたような感じ」。直後はしばらく競技から離れ、辞める寸前までの状況になっていたという。「到底、競技者とは思えないくらいまで堕落していた時もあった」と振り返る。
3学年下のケリーは姉とともに五輪出場するため、階級を下げた。「私も52kg級に下げて頑張るから、お姉ちゃんもう1回頑張ってよ――という気持ちも少しあった」と明かす。2人で五輪舞台という夢をかなえ、姉クリスタは世界の頂点に立った。表彰台の真ん中で首に提げられた金。眩しい輝きを放つ529gのメダルは、姉妹とふるさとの誉れでもあった。
出口 クリスタ 柔道
1995年10月29日生まれ、塩尻市出身。3歳のとき、長野誠心館道場で柔道を始める。丘中を経て進んだ松商学園高で1年時にインターハイ制覇。3年時には全日本ジュニア選手権を制した。山梨学院大を経て日本生命に所属。2017年からカナダ代表として国際大会に出場し、世界選手権2回、グランドスラム10回の優勝。パリ五輪で女子57kg級を制した。
取材/大枝令