氷を切り裂く鋭いブレードの響きは、信州の小さなリンクから世界最高峰の舞台へと真っ直ぐに続いていた。長野県が誇るスピードスケートの気鋭、倉坪克拓が歩んできた道は、幾多の苦難を跳ね返した不屈の意志と、自らの力で切り拓いた確かな実績によって貫かれている。

彼の原点は、小学校2年生の冬に遡る。当初は野球に夢中な少年だったが、母親に勧められて入会した「エムウェーブスケートクラブ」での日々が、彼の運命を静かに変え始めた。そこで出会ったのが、当時クラブで指導にあたっていた土屋陽祐教諭である。中学進学を機に倉坪が岡谷市へ転校する際、その1年前には土屋教諭が岡谷西部中学校へと異動。新天地でも再び指導を受けることとなった。土屋教諭や現「岡谷スケートクラブ」で指導を行う小湊勇樹コーチ、稲葉英樹コーチなどの指導陣による専門的かつ情熱的な指導は、倉坪の技術を飛躍的に向上させた。地道な努力が花開き、中学2年で全国中学校スケート大会男子500メートル準優勝、そして3年時にはついに念願の優勝を飾る。この、自らの力で全国の頂点を掴み取ったという揺るぎない成功体験こそが、彼に「スケートを続けていく」という確固たる決意を抱かせたのである。

続く岡谷南高校時代には、当時同校で教鞭を取っていた野明弘幸教諭のもとで短距離の才能をさらに爆発させた。2019年の世界ジュニア選手権では、男子500メートルで3位に入賞し、世界の大舞台でもその実力が通用することを証明する。そして高校3年生で迎えた2020年、ポーランドで開催された世界ジュニア選手権において、男子500メートルを35秒27という好タイムで制し、ついに世界の頂点へと登り詰めた。さらに同大会の1000メートルでも3位に食い込み、スプリンターとしての地位を不動のものとした。しかし、日本大学進学後に最大の試練が襲いかかる。選手生命をも脅かす「椎間板ヘルニア」の発症である。氷に立てない絶望的な日々の中で、倉坪は落ちてしまった筋力を回復させること、そして身体を傷めていた間に染み付いた動きの癖を改善することに、並々ならぬ苦労を強いられた。しかし、ナショナルチームのコーチや周囲の温かい支えを糧に、この地道で困難な課題に粘り強く向き合い続け、大学4年時には自己ベストを更新するという執念の復活を遂げたのである。
大学卒業後、さらなる進化を求めた倉坪は、自らスピードスケート界の名将・結城匡啓コーチ(信州大学教授)の門を叩き、理論に基づいたストイックなフォーム改造に着手した。その努力は実を結び、2026年、ついに夢の舞台であるミラノ・コルティナ冬季五輪のスタートラインに立つ。第8組インスタートから爆発的な加速を見せた倉坪は、100メートル通過で全体7位となる9秒57をマーク。34秒85の力走で19位という結果を残し、世界の強豪と真っ向から渡り合う姿を世界中に示した。


「4年後は必ずメダルを――」。悔しさを力に変えるその眼差しは、すでに次なる高みを見据えている。かつて受け取った指導を糧に、自らの勝利で道を切り拓いてきた倉坪は、「誰にでもチャンスはある」と次世代へエールを送る。その挑戦は、これからも日本の、そして世界の氷上を熱く焦がし続ける。

| 僕も小・中学校時代は普通の子どもでした。だからこそ、誰にでもチャンスはあると伝えたい。今頑張っていることに真剣に向き合い続ければ、必ず目標は見えてきます。皆さんの挑戦を、心から応援しています。 |
Profile
倉坪 克拓(くらつぼ・かつひろ)
スピードスケート
2001年04月02日生まれ。長野市(小学校卒業まで)、岡谷市出身。株式会社電算所属。中学3年時に全国中学校スケート大会男子500メートルで優勝。岡谷南高時代の2020年世界ジュニア選手権500mで優勝、1000mで3位に輝く。日大進学後のヘルニアを克服し、卒業後は信大教授・結城匡啓コーチの門を叩き進化。2026年ミラノ・コルティナ五輪出場を果たした不屈のスプリンター。
取材/児玉さつき
